26歳からの職人道|バーバー西の物語。床屋と自転車ともう一つの夢


バーバーを志た理由

26歳のとき、僕はバーバー(理容師)になろうと決めた。

それまでの僕は、いわゆるフリーター。

服屋、三交代勤務の工場、ガラス工場、民宿の管理人、飲食店など、さまざまな仕事を転々としていた。滋賀県まで出稼ぎに行ったこともある。

でも、どんな仕事をしていても、どこかで「俺にはもっと別のことができる」と思ってしまう。自意識ばかりが先走って、なかなか仕事が続かなかった。働いてはやめて、また次へ。

そんな日々の繰り返しの中、いつの間にか歳を重ね、ふと、自分の将来に不安を感じるようになった。

「このままでいいのか?」

そんな疑問が頭の中を離れなくなった頃から、「仕事」と真正面から向き合うようになった。

自分に合う仕事とは何か?

長く続けられる仕事がしたい。

そう思い始めた一方で、組織の中で上下関係に縛られる働き方は、自分にはどうしても合わないと感じた。

正社員、会社勤め、どれにも心が動かない。

「俺には、もっと自分らしくいられる働き方があるはずだ」

そう思ったとき、自然と「職人」というキーワードが頭に浮かんだ。

技術を身につけ、自分の手で何かを生み出す。誰にも媚びず、自分の腕で食っていく。

そんな生き方なら、続けられる気がした。

そう思い始めたときに、バーバーを目指そうと思えるきっかけとなる3つの出来事があった。

1、父の背中と母の想い

僕が小さい頃、両親は離婚し今の親父がやってきた。僕はいまの親父を尊敬している。

父はもともと理容師。中学生くらいまで、髪は父に切ってもらっていた。手先が器用で、ファッションも好きで、なによりかっこよかった。

ある日、母に何気なく聞いたことがある。

「なんであの人と再婚したの?」

すると、母はこう答えた。

「あなたたちに、あの人の背中を見て育ってほしかったから」

その言葉が、胸に強く残っている。父の姿を追うことも母親への親孝行になるかもしれない

そう感じた。

2、アメリカンカルチャーとの出会い

もうひとつは、ある雑誌との出会いだった。

20代の頃から、僕の体にはタトゥーが入っている。ある日、本屋でアメリカンカルチャーの雑誌を何気なく手に取ったとき、全身にタトゥーを入れた男が床屋をやっている写真が目に入った。

「これだ」と思った。

タトゥーがあっても、好きなファッションで、カッコよく生きていく。そんな生き方があるのか、と衝撃を受けた。

3、今からでも遅くない。ある先生の背中

バーバーへの憧れが芽生えてもすぐに、現実が頭をよぎった。


今から学校に通って、免許を取る? 周りと比べたら遅すぎる。


たいていは、20歳からバーバーのキャリアを積みはじめるが、自分がスタートラインに立つには、6年もの差がついている。

そう思うと、一歩を踏み出せなかった。

そんなとき、ふと脳裏に浮かんだのは、中学時代の美術の先生の姿だった。

先生は、最初から教師だったわけじゃない。

「絵を描いて生きていきたい」という夢を持っていたけれど、現実は厳しかったのだ。

それでも夢を捨てきれず、会社を辞め、教員免許を取り直して教師の道へ進んだ。それが30歳。


一からやり直すことの大変さを、先生自身が体現していた。

僕はその先生のことを、心から尊敬していたから、「先生にできたんだから、僕にもできるかもしれない」そう思ったとき、年齢なんて関係ないと気づいた。

父の存在、母の想い、偶然出会ったアメリカンカルチャー、そして尊敬する人。

それらすべての“点”が、ようやく一つの“線”になった。それが「バーバー」

こうして、僕のバーバー人生が始まったのだ。

なるべくしてバーバーへ。アパッシュと出会う

バーバーになると決意したが、現実は容赦なく立ちはだかった。

フリーターだった僕に貯金などあるはずもない。

学費を稼ぐため、アルバイトを何個も掛け持ちし、毎日深夜2時まで働き続けた。悪いこと以外なら何でもやった。

はれて、通信制の理容学校に入学した日、受け取った学生証を見て驚いた。

学籍番号777番。

「僕はバーバーになるべくしてなったんだ!!」

大当たりとしか言いようがない数字に、運命を感じずにはいられない。今でもその学生証は、お守りのように大切にしている。

通信制では、理容室で働きながら実務経験をつむ必要があった。僕が選んだのは家の近くにある1,000円カットの店。

「スタートが遅いから技術を身につけるには、忙しい店を選ぶしかない。職人の世界では下積みが長いのは当然。」

そう思い、次から次へと客が来るお店で、実践経験を積むことにした。とにかく量をこなす5年間。ひたすら髪を切り続けた。

スキルを着実に身につけていった頃、経験をつむと質にもこだわりたくなる。

当時、今でいうフェードカットやバーバースタイルはまだ流行していなかった。

僕がバーバーに惹かれたのは、オールドスクールなバーバースタイル。

リーゼント、革ジャンに似合う男らしい髪型。そんなクラシックなスタイルが好きでバーバーをやっていた。

「いつか、あんなこだわりのスタイルを切れるようになりたい。」

「バーバーってもっとこうあるべきじゃないかな」

その想いを美容師の友達と話していたときだった。

「西くんが言ってるかっこいい床屋さん、多分もう旭川にはあるよ」と。

それが「アパッシュ」だった。

師匠の背中から学び続ける日々

「アパッシュ」という名前を聞いて、すぐに髪を切りに行った。理容学生であることをあえて伏せて。

その頃のアパッシュは、川上さんとかおるさんの二人でやっていた。カットしてくれたのは、川上さん。話してみると、どこか温かくて、優しいおじさんという印象だった。

店内はアメリカンカルチャーに包まれていて、どこを見ても僕の“理想”が詰まっている店だった。 「ここで働きたい」そう思わずにはいられなかった。

2回目に髪を切りに行ったとき、初めてたける君に出会った。見慣れない顔がいるなと思ったら、川上さんが紹介してくれた。

「たけるは、今専門学校に通いながら、夜だけ働きに来てるんだよ」と。

そこで、僕も打ち明けた。「実は、自分も理容学校に通っている学生なんです。」

たける君と握手を交わし、「一緒に頑張ろう」と励まし合ったのをよく覚えている。

本当は定期的にアパッシュに通いたかった。でも、当時はまだ自分が働いていた理容店があり、練習台として髪を切られてしまう。アパッシュにはなかなか行けない日々がつづいた。

そんなある日、たける君が僕の働いていたお店に髪を切りに来た。

「どんなバリカン使ってるの?」「アメリカの『Wahl』っていうバリカンがあって、めちゃくちゃかっこいい音するし、いろんなスタイル作れるよ」


など色々教えてくれた。

あのときのやりとりが、僕の中でアパッシュという存在を“憧れの場所”から“目指すべき場所”へと変えていった。

もっと自己表現がしたい、こだわりたいという想いが強くなり、自分の働いていたお店も「そろそろ潮時かな」と思いはじめたころ。

川上さんが「出なよ」と背中を押してくれ、第2回レイライトバーバーバトルへの出場を決意した。

免許取得見込みの年に出場し、3位に入賞。

自分の中で「これならアパッシュに挑戦できる」という“武器”ができ、意を決して、川上さんに伝えた。

「アパッシュで働きたいです」

「生活に合わせてやっていこう」そんなウェルカムな空気を川上さんから感じた。なんと声をかけられたか正確には覚えていない。

当時はまだ1000円カットの店も辞めていなかったので、週1でアパッシュに通いながら、掛け持ちという形で働かせてもらった。

「なんで辞めてから来ないんだ」と怒られるかも、と少し覚悟していた。

でも、川上さんはまったく違う。

僕の生活に合わせて、現実を理解し、寄り添ってくれた。

それが、アパッシュの一員としてのはじまりだった。

朝までバーバーの未来について語る熱いメンバー

川上さん、たける君、そして僕のアパッシュでの日々。

使う道具へのこだわり、店の環境、そして何より、情熱を共有する仲間たち。すべてが刺激的だった。自分が描いていた理想に、確実に近づいているということを実感した。

それは、好きな芸能人と同じものを使って、はしゃいでいるような感覚に似ていた。純粋な憧れと興奮が、毎日を彩っていた。

仕事が終わった後も、3人で語り明かす毎日。他愛もない話から、深い技術論まで夜中の3時までつづく。

「外が明るくなってきたね」誰かがそう言って解散。そんな日々が続いた。

僕は川上さんの背中を見て成長した。座席の真後ろが、川上さんの椅子だった。だから毎日、鏡越しに川上さんの姿を見ることができた。

お客さんの髪を切っている川上さんの手さばき、集中した表情、すべてをチラチラと観察していた。

当時、川上さんはセミナーにも積極的に参加していた。僕は密かに優越感に浸っていた。

「無料で川上さんのカットを見れている」そんな特別感が、毎日を更に楽しくしていた。

鏡越しにみえる川上さんの首の後に刻まれるタトュー「No Clipper No Life」

毎日見続けたその言葉。そのクリッパーが販売された時の興奮は忘れられない。

誰よりも早く手に入れたが、今でも箱から出していない。使ってもいない。

川上さんが大事な時にこのクリッパーを使おう、そう心に決めている。

本店で働いて5年。ある日、川上さんから声をかけられた。

「新店舗ができるから、よろしくね。」

大町店長への挑戦がはじまった。

川上さんの背中を見続けた5年間の経験を胸に、今度は自分が誰かの道標になる時がきた。

西の3つのお気に入りの道具

クラシックなバーバースタイルを愛し、技術と美学を追求し続ける西。彼の手元には、“西らしさ”を体現するこだわりの道具がある。

理容師としての信念と美意識が詰まった、お気に入りの道具たちを紹介しよう。

1、ミズタニシザーズの7インチのソリッド

ずっとお店に来てくれていた、ハサミメーカーの担当者から就職祝いとしていただいたもの。7インチサイズのハサミは理容師ならでは。大きいハサミを巧みに振り回しながら働く姿に憧れ、動きのひとつひとつに、自分なりの美意識を込めずっと愛用している。手に取るたび、初心を思い出させてくれる、大切な一本。

西Instagram

2、マッサージマシーン

今ではまったく使わない、昔の床屋さんが使っていたマッサージマシーン。
振動で頭皮を刺激することでマッサージの効果が得られる道具。今はもう生産もされておらず、ほとんど見かけることもないだろう。

僕とたける君はクラシックバーバーの世界に憧れていたので、「いつか手に入れたいよね」とずっと話してオークションで手に入れた道具。

道具を通してバーバーの歴史を感じられる部分が気に入っている。

3、レイライトポマード

アメリカンバーバーといえば、僕の中でまず浮かぶのがこのアイテム。
本当にクラシックなバーバースタイルには、このレイライトポマードは欠かせない。ツヤ感、ホールド力、香り、デザインすべてが最高。

レイライトは、僕にとって「バーバーといえば、これ」というほどの王道アイテム。髪型をかっこよく仕上げたいなら、レイライト一択。

床屋・自転車。人生で大切な3つの教え

僕の夢は床屋として死ぬこと。

ある芸能人が語っていた話が、俺の人生観を変えた。

ユダヤ人の教えに『人生に大事なものを3つ作る』というものがある。

3つの大切なものを持つことで、それらが相対的に高め合う関係性を築けるという考え。2つでもなく、4つでなく、3つという数字に深い意味があるのだと。

その話を聞き、僕は人生の中で、その3つを見つけ出したいと思った。そして今、そのうち2つを見つけた。

その一つが、床屋。

これは僕の持論になるが、男は一生懸命働いていれば、文句を言われない。

これが男の特権だと思っている。だったら、好きなことを仕事にした方がハッピーに決まっている。死ぬまで好きな仕事をして死にたい。それが床屋。

そして、好きなことをして働き続けるために大事だと思ったのが、健康。

その健康を維持するために始めたのが、「自転車」。これが二つ目。

3年前から、僕は「クリティカル・マス旭川」という自転車ライドを企画運営している。

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クリティカル・マスとは、1990年代にアメリカで始まったカルチャー。

自転車は環境に優しく、健康にもつながる、誰も困らない幸せな乗り物だということを、走ることで知ってもらうイベントだ。

名古屋や横浜では開催されているが、旭川にはなかった。だから作った。

今では、インスタで告知するだけで、当日の集合場所に50人もの自転車好きが集まってくれる。子どもからママチャリ、女子高生まで、幅広い世代が参加でき、自転車が好きなら誰でも参加できる。

クリティカル・マスという言葉には、深い意味がある。

ある集団の中で、少数派でも無視できない存在になるための分岐点となる人数や割合のことだ。つまり、少人数だけれども、もう無視することができなくなった存在。

それこそが、僕たちが目指している姿だった。

今の目標は、もう一つ人生の大切なことを見つけること。見つける過程も幸せにつながっている。人生がもっと豊かになる。そう信じている。

その出会いまで、今日もハサミをにぎり、自転車のペダルを漕ぎつづける。

まとめ

今回はアパッシュメンバーの西について紹介した。

普段の会話からは見えない西の人柄やバーバーとしての熱い想いを知っていただけたら嬉しい。

西ご指名のご予約は、TELまたは大町店ホットペッパーからよろしくお願いいたします。

TEL:0166-74-6361
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