なぜ彼はハサミをにぎり、バーバーという生き方を選んだのか。葛藤のなかで、自分の信じたスタイルを貫いてきた宮崎剛瑠。
その原点、そして今を辿る。

宮崎剛瑠はなぜバーバーを目指したのか。
26歳のある日、俺は初めて「アパッシュ」というバーバーで髪を切った。
当時は定職にもつかず、ただ仲間と遊び惚けていた時期。いつもかっこいい髪型をしている先輩がいて、気になり「その髪、どこで切ってるんですか?」と聞いてみた。
返ってきたのが「アパッシュ」という名前だった。それが、アパッシュとの出会い。
その頃のアパッシュは、川上さんとかおるさんの二人だけ。 座席数はたったの2席。まだ小さかったけど、明るくお客様を迎え入れる雰囲気は今でも変わらない床屋だった。
俺がアパッシュに通い出した理由はシンプル。
「理想の髪型」を、本気で叶えてくれたから。
昔からファッションや音楽が好きだった俺には、中学時代から通ってた馴染みの床屋があった。ある時、海外の雑誌や漫画で見た「バズカット」

今で言うスキンフェード。その髪型に心を奪われ「これにしたい。」と写真を見せても、床屋は笑ってこう言った。
「日本人の髪型には無理だよ。」…悔しい。
でも、アパッシュに出会って変わった。
長年の夢だったバズカットを川上さんに伝えた時、即座に形にしてくれた。
「やっと伝わった!!」
誰も理解してくれなかったスタイルが、初めて伝わった瞬間で感動したのを覚えている。
それから毎月アパッシュに通うようになり、次第に、髪を切るだけじゃなく、川上さんに人生相談にのってもらうようになっていった。
ある日、いつものカット中、川上さんがこう言った。
「理容師、なってみればいいっしょ?」
当時俺は26歳。理容師になるには遅すぎると冗談だと流していた。しかし、通う中でいつも「理容師やってみれば」と同じ話になる。
だんだんとその言葉を真剣に捉える自分がいて、仲間の理容師にも相談してみたりと、バーバーを志す自分に変わっていった。
自分には武器がないと思って生きてきた26年。
音楽、ファッション、カルチャー。好きなものはあるのに、表現する手段が自分にはないことにずっと悩んでいた。
でもアパッシュに通ううちに、気づいた。
「もしかしてバーバーは、自分のカルチャーを表現する手段なんじゃないか?」
川上さんの姿を見て、そう確信に変わった。
きっと、他の誰かに「理容師になればいい」と言われても響かなかったと思う。川上さんの言葉だけはなぜか素直に受け取れた。
自分の人生の“点”が、ようやく線でつながった気がした。
だから俺はバーバーを志すことにした。
アパッシュに通い始めたあの頃の感動。誰にも叶えてもらえなかった“理想の髪型”を形にしてくれた体験。
それが今のバーバーをやり続ける俺の原点になっている。
理容師になると決意したからこそ「この先どうなっても仕事はやめない。やめたらなにも残らない。」
あの時の決意が今でもアパッシュで頑張れる理由になっている。
駆け出しのバーバー宮崎剛瑠
バーバーになると決めたのは、27歳のときだった。
当時、俺には金がなかった。 だから、最初は仕事をしながら3年間かけて「通信制で免許を取ろう」と思ってた。
その話を川上さんに伝えると、返ってきたのは意外な言葉だった。
「通信は3年かかる。お前は今27歳で年齢的に免許をとるには遅すぎる。30歳でとってこい」
その一言で、俺は腹をくくり学校へ通う決意をした。しかし、ここからも「説得」と「金」この2つが壁となった。
当時付き合っていた彼女(今の奥さんには)何度も何度も説明した。
27歳で学生に戻る現実。女性にとっては、ちょうど“結婚”をリアルに考える年齢。それなのに、俺は学生からのスタート。
何度もノートに想いを書いて渡した。言葉で伝えられない部分は、手紙にして渡した。 そしてある日、彼女は静かにこう言ってくれた。
「……好きにしな。」
納得してもらえた嬉しさ。絶対に裏切らない責任を感じた瞬間だった。
そして、次はお金の問題。
遊んでばかりの俺に貯金なんてあるわけがない。親に頭を下げ、奨学金も借りて、なんとか学費を工面できた。
そうして始まった理容学校での生活。
昼は勉強、夕方からはバスに乗ってアパッシュへ直行。夜8時まで働いた。仕事終わりは、毎日川上さんが車で家まで送ってくれる日々が続いた。
2年後、無事に学校を卒業し、アパッシュで見習いとしてスタート。

そのとき、スタッフは俺一人だけだった。アパッシュ初のスタッフになった俺に、川上さんが言った。
「俺が思い描いている夢はスタッフがいないと叶えられないことなんだ。これからどんどん人を増やして思い描いている床屋にしていきたい」と。
その言葉の通り、今のアパッシュは夢の途中にいる。
スタイリストとしてデビューするまでの日々は、もう、泥くさいの一言。
友達にカットの練習をお願いして、川上さんからフィードバックをもらい、不器用な手つきで、がむしゃらに学び続けた。
一番の学びとなったのは、川上さんが入院し、1日お店を任されたこと。
川上さんの大切なお客さんを、自分が担当するプレッシャーは半端じゃなかった。心臓が飛び出るほど緊張して、手は汗でビシャビシャだった。
「いつも隣で川上さんを見てきたはずなのに、全然うまく切れない。」
なんとかお客様が帰れるまでに切り終えたが、あの不甲斐なさは今でも鮮明に覚えてる。
でも、アパッシュの一番いいところは、「お客さん」だということにも気づいた。
「いいよ、好きなだけやんなよ。」そう言って黙って見守ってくれるお客様に救われた。
あの日の苦い経験があったからこそ、俺は“現場での実践”が何よりの学びだってことに気づいた。
そして、いつも支えてくれるお客様のために仕事することが一番大事だということを身をもって体感した。
宮崎剛瑠のお気に入りの道具
宮崎が得意とするのは、やっぱり「スキンフェード」。
バーバーを志すきっかけになったのもこのスタイルで、 無駄を削ぎ落としたシンプルさ、そして男らしさが今でも魅力的だと宮崎は語る。
そんな宮崎が現場で愛用している、お気に入りの道具たちを紹介しよう。
ナルトシザー 2丁
一番最初に購入した一生物のハサミ。当時の俺には、この値段は勇気がいる買い物だった。
ハサミを購入する前に川上さんに相談した。
「どうせ買うなら一番いいやつを買った方がいい。ちょっと妥協しワンランクさげて購入した時、心の中でもうワンランクあるんだよなと思いながら切るのと、一番いいの使っていると自信持って切るのはお客様に対してどっちがいい」と言われた。
このアドバイスは自分にはない考え方で、即決で50万のハサミを購入した思い出深い一丁。
Wahlのヴェイパー
現在のメーカーの中での一番の新作。今までのクリッパーとは全然違い、切れ方もいい。毎日ほぼ使っているくらい気に入っている。
ディテイラー
自分の好きなスタイル「スキンフェード」を表現するのに必要な道具。フェイスラインを整えるのにも使えるクリッパーだ。
こうした道具をつかいながら、日々の反復練習は欠かさない。できるとわかっていても極めていくのがスキルアップには大切。
まとめ
今回はアパッシュメンバーの宮崎について紹介した。
普段の会話からは見えない宮崎の人柄やバーバーとしての熱い想いを知っていただけたら嬉しい。
宮崎ご指名のご予約は、TELまたは東光店ホットペッパーからよろしくお願いいたします。
TEL:0166-52-2397